タトゥー・刺青が問題とされる100の理由
もうええでしょ。いつまでやるんですか。
Q.肌に模様を描いただけで何が問題なのか。
A.肌に模様を描くのが問題です。
問題であることを問題だと言っているのがわからないのは、何が問題かわかっていないため会話が成り立たない。
ただの絵が人を襲うわけでもないというのなら街頭のポスターに制限が必要な理由がない。
じゃあ他に皮膚のトラブルを抱えている人は同じ目にあうのか。→あいます。
説明が必要になるので説明をすべき。説明の上問題がないのであれば問題のない扱いを受けるべき。
人がみなそれを知らんのは当たり前。バーコードの入れ墨を入れていてそれが管理上の必要があると説明があるなら、差別はされるべきではない。
今、人体にマークをして管理をする組織が合法的に存在しているか?
Q.タトゥー・刺青ごときでビビッてんじゃねえよ。
A.ビビらすことが目的であると言っているのが問題です。
包丁を持って「これで人を刺すこともできるんだぜ」って言う必要が今そこにあるという事についての意味がわからないのであれば会話が成り立たない。
結果:会話の成り立たない人間の入場制限が必要である。
風呂とトイレの差もわからない人間を共同浴場にいれるべきではない。
そんなものわかってるというのであれば、絵が入っている事やいままさにその目的で使っている事についてのタトゥー・刺青の何が問題か会話をしている理解ができるはず。
できていないので類推して風呂とトイレもわからないだろうし、利用料金の授受についてもドヤれば安くなるサービスだと思っているだろうし、自分はすごいので敬意を払い優先されるべきだと思っていると類推される。
そうでないのなら、そうでないと説明をすべき。説明がなりたっていないので、その時点で排除の対象となっているだけ。
Q.タトゥー・刺青を入れている意味、機能、価値を説明したが問題があるのか?
A.あなた一人だけの胸の内の事情を説明されても、それを共有して共同生活圏の価値に加える事はできません。
自分はそうじゃない、自分はこうだからという事で、たとえば祖母が危篤でスピードを120キロオーバーしながら公道を走行し赤信号を無視することが許容されるべきなのかどうか。
社会の機能で保障されている範囲内の行動つまり合法的な範囲での交渉、サービスの授受はあるべきだが個人の都合でそれを変更することは許されていない。
Q.タトゥー・刺青はただのファッションですが。
A.ファッションはドレスコードに従ってください。
水着やメガデスのTシャツを着て温泉に入りたいのですがよいですかと聞かれてそれは運営上の様々な問題を回避するためにご遠慮いただいておりますと言われたら従うべき。
ここはTシャツでの入場は認められませんと言われたら人権問題に発展するのか、刺青のお客様はファッションをどうにかしてからご来場くださいとなるだけ。
結果:あなたのおしゃれがどこでも通用すると思っているならそれは社会的な慣習や常識が欠如しているのでご退場いただきたい。
葬儀に普段着でいくのが何が問題かわかっていない人には喪服できてほしい旨を伝え、どうしても状況や事情を鑑みて特定の衣装で行きたいと要望があればそれを見て理解ができない参加予定の参列者にも事情を説明して許容を用意する必要がある。
制服やドレスコードも同じで、なにをしている人間なのかわかりやすくするため。
作業スタッフや関係ない通行人が、特定の事情のある空間にまざって同じ行動をしていたとしたら不信に思う事があるから。
香典パクリにこられたり、サービスを受ける対象者ではないのに優良サービスを立場利用で受けているつまりサービスに対してみあわない対価を要求されたものだったとされるなど。
人の土地に勝手に広告だしてはいけないように、特定の地域で出店するときは看板や外装などは自治区のルールに従うように、など。
できないのであれば、できる場所に移動していただきたいだけ。
逆に、なぜタトゥー・刺青がファッションとして認められ取り入れられ一般化されることを希望するのか。
服ですら、特定の傾向がある場合には制限を設けることがある。提供するサービスなどについて問題を低減し対象者を明確にしよりよい運用を求めるためだ。
タトゥー・刺青を一般化したい派はドレスコードなどについてもなくすべきだと思っているのだろうか。
宗教上のものからアピールしたり表現したいアートから、制服まで。
駅員のファッションをした人間に全然ちがう路線を指示されひどく遠回りをしても「おもしろイベント」で済むのだろうか。
警察ファッションをした人間から赤切符を切られたら「おもしろイベント」で済むのだろうか。
もちろん「おもしろイベント」で済む人間は一定数いる。
それは「あなただけの価値観で世界は回ってない」にあり、それは違反で違法なので取り締まられるべき。
自分はOKなので世界が変わるべきというのは、「世界を変えるために個人の行動欲を実現させかねない」危険な人物として社会的に保護されるべきになる。
タトゥー・刺青が有意義で価値がありファッションとして認められるべき点があるなら「そんなの個人の自由だから」以外を出していくべき。
個人の自由が通るなら5000兆円ほしい個人の意思も尊重されるべき。
なにが違うかわからん、なぜ同じにしているかわからんという話なら「わからない事が問題である」に気付くまで立ち入るべきではない。
足元のちいさな生き物がいたなんて知らないわからない、だから踏み入ったが踏みつぶしたなぞしらんかった、で済まないから入るべきではないと言っているだけ。
じゃあ先にそこにいるとなぜ説明してくれないのか、と今説明しているのにわかっていないから立ち入り自体を禁止したという事自体わかっていない人間とは会話が成立していない。
つまり「タトゥー・刺青を肯定させるためには、肯定させる情報を発信する必要がある」一択である。
その一択を捨てている時点で不適合である。不適合であることを適と説明できない状態で不適合ではないと否定する方法は「暴力的」の一択である。
現に暴力的な論でしかないので、それを排除する機能をしている。なぜ暴力的ではないという事をわかってくれないのかと説明をしてもらればわかりあえる可能性はある。
その説明を既にしていると、されてもいないのにしている感覚になっているズレを正す方法が「こちらの説明を聞いてもらう」「そちらの説明をしてもらう」で不可能なので、関係性の排除しかない。
タトゥー・刺青のおかげで救われた話を、バラバラになった肉片からみつけることができました以外の美談であげてもらう必要がある。
なにひとついいことがなかったそのタトゥー・刺青に、なんの配慮が必要なのか。