宇玖頼奈A.k.a涅惡陶狂邪愛魅異

尻の穴で、伝わる愛

日本の宗教事情

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人の原器みたいなもんを宗教とかいう括りであるとかないとか言ってられるのは全部つめこめる広さと平和さやろね。
その思考や情報だけで民族単位が争いを個人単位が行動するのとか信じられんやろね。

どの宗教がどんなで何がどうのとか、そういうのをひっくるめて宗教って括ってるわけでしょ。
そもそもそういうのが民族単位や国家単位であるものは自分のそれを「宗教」とは呼ばないんじゃない?
常識とかマナーに名前があるならそれになると思うよ。

なんかちょっと前にアイドルとか推しとかが宗教に近いとか宗教に似てるとかいう記事を誰かが書いてた気がする。
たぶんほとんどの宗教的にそういうのがいちばんNGだと思うわ。その禁忌を最初にまず余裕でぶっ壊してくるあたりが平和の証拠だよね。

たとえばAという宗教が広まっている地域があって、異なる系統のBという宗教が隣接した地域にあったら、どうなるかってそりゃ相手が全滅するまで殺し合うわけじゃん。
その宗教エリアにいる人間だという事か、そういう特徴を見ただけでいきなり殺害行動に出てくるわけよ。
常識外れの行動にでてくる理由が宗教だなんて「それはカルトで洗脳なんじゃない?」、だから宗教は怖いし宗教ってダメみたいになるよね。
お互いの推しが違うと殺し合うなんてね、というものと宗教が一緒なわけがない事くらい数秒考えたらわかるものだと想像するけれども、それがわからないということは「自分も推しでそんな異常行動を取るよ」という事なのでしょう。
宗教が違うとなぜ殺し合うのかくらい、数分考えたらわかると思うが推しでいうなら「金の使い方が違う二人が同棲してたらどうなるか」って話を考えたら「ああそれか」となるのでは。
ギャンブル大好き彼氏が生活費を全部常に賭けている「常に戦っている男」だったとして、同棲中の彼女が推しアイドルに全額投入する「愛に生きる女」だったとしたら、それは末永く仲良く愛のある生活をすると思うかという事だけれども、実態に即した話を事例から読み取るなら成功例もあるかもしれんね。
日本が多数の宗教が混在していても平和でいられる稀なケースだからこれを成功例とするなら、先のカップルの例もうまくいくエンドになることも想像に難くないはず。しかしそううまくいくケースは多くはない。
実際日本で「どうして宗教が」という話がでてくる程度には多くない。

まず宗教が何かというと人の原器、思考や感性や習慣、哲学倫理文学教養、智恵や勇気や希望のそのものである。これが日本ではサブカルチャーであるという驚愕の事実。
ほぼ「ベーシックインカム」を人生まるごと全額受領しているようなものである。

動物の肉を衛生的に処理ができないため食すのを禁忌としたり、立ち入りを禁止する理由を一人ずつ行動に反映できる程度に理解をしてもらう教育の量を安全で確実に小さくするために神や悪魔の存在を立てたり、交換の条件や違反の制度などなど。
生きるルールが全部つまっているそれからはずれると「生きていくことができない」つまり生きた状態でいることが難しい、ぶっちゃけ死ぬって事になるわけで、人が何であるかという事そのものを定義したものが宗教だ。
100円を100円として使える地域の隣に、自分の地域の100円は100円だがそれ以外は80円になる地域があったら「文化の違い」で済むだろうか。
20円を設ける智恵がすごいね、かしこいねで済むだろうか。もちろん歴史的には殺し合って相手が民族として機能しなくなる人数までといわず最後のひとりまで殺すに至る行動に出る。自分の100円という価値が多様性で揺らぐ事などないようにするために必要な行動なのだ。
この定義を混在させて「宗教が多様で」なんて言っていられるのはその根本にある安全の補償や信頼性の厚さからだろう。

移民が今後増えて行けば他の国のように崩壊することは目に見えている。
しかし戦乱があったにしても仏教が席捲した過去をみて、移民が皆「日本人」になってくれたならばそれは他国にない日本を継続できるのではないかと淡い期待もある。
私は移民はどちらかというと反対で人口減少は江戸自体くらいまでに戻って小さな経済圏として再構成するほうがよいのではと考えているけれども、この制度を止めることができないなら好転を期待している。

一般的に「宗教」として議論される範囲の「宗教」を信仰している人間について、ならば現状見れるものを改めて問う必要はないだろう。
実際に信仰として教義を記憶していたり礼拝などの動作や装着物などもルールに即しているものを使用しているだろう。
それが推し活とかわらないと言われればその程度でしかないのが日本だという事でもある。
アイドルが冠婚葬祭グッズを出せばそれはもはや宗教だと言える。
圧倒的な勢力として人数を確保している団体もあるだろう。
「それを代表とさせない」という現状の風土自体、それが「宗教」と区分したそれに当たるから「日本で”一般的に宗教と区分されているものに属している団体が日本の代表として機能していない”のはなぜか」という質問になる。
そんなものは言葉にしなくても、日本というシステムがどう成り立っているか、熱狂的な愛好者が古風なレトロ日本からなんでも擬人化するナウ日本まで、日本を成り立たせている事は問うまでもない。

私個人は、日本の伝説や理想像としての愛着などからではなく日本には象徴が機能しているから強力な地盤が形成されていると感じている。
これを守る愛国のなんとか、というつもりはないし現政府や政治には絶望しているが、自分ひとりこのままそこそこ不自由なく生涯を閉じれるならばそういう生活ができるだけで満足である単位の個人である。
特になにが良いとかなにをしようという事もなく実際どうでもいいと思ってはいるものの宗教という単位で物を言うならば日本というシステム自体が宗教だと言えると考えるし、ほかの宗教が異なる教義を取り込んできた経緯の全部を体現しているとも考える。
日本にかかればどんな陰惨な歴史も強固な思想や宗教、人としてそのものすら「女体化」するし「ケモノ化」もするし庶民と化して日常の生活もしたりする。こんなとんでもない現状で稼働している宗教があるだろうか。
攻殻機動隊草薙素子のような、電脳コイルの天沢勇子のような、強力なハッキング能力を持った宗教のその名をだれも知らないという事なのだろう。
日本はどうしてという問いを影として、そこに日本のセカンダリネームを見出そうという試みかもしれない。日本という宗教に名前を付けるとしたら、という禁忌だ。

この「日本という宗教に二つ名を与えよう」という試みが自動的に消滅することも驚愕である。宗教の禁忌にある「偶像の崇拝」が自動的に排除されているのだ。
みんなの共有キャラクターを勝手に商標登録したり商業利用すると猛烈なクレームで放棄に追い込まれるという自浄作用が発生するのもそれだろう。

あらためて、偶像の崇拝というのは「信仰の対象」を独自に解釈したり再製させたりすることにより「偽物の信仰対象」に語らせるという事だ。
教義にはない事、ルールにはない事、それに外れる事や違反や許容の外のものでも「信仰の対象」という最高位の裁定者が「それはOK」と言えたらすべてが捻じ曲がる。それを禁止するのは当たり前だろう。
別段ものいわぬ像を信仰対象だと崇めることには問題がないし、信仰心を満たす対象に物質を用いる事はむしろ良好ですらある。
「日本に二つ名をつけよう」キャンペーンがもし実行され完遂することがあったなら「日本人ならそんなことしない」とか「日本人ならやりかねない」が「実在」することで「存在しなくなる」のだ。

どういう事かと簡単におきかえると、漫画にでてくる「著作権を侵害しないように似たものに置き換えられてるあれ」である。
漫画の設定世界に「ナーメリカ合衆国」という巨大な国が、もちろん実在のアメリカとは違いまして、そこの闇の組織「インテール」が、もちろん実在の企業とは異なりまして、と話を進めることができるあれである。
勝手な風評被害をばらまくことを「代理のなにか」にさせる事で「容認」させているのだ。これをするのを自分たちの尊厳そのものでやることを禁止しているのが「偶像崇拝の禁止」である。
日本に日本を舞台にした「トンデモ」が少なく、やるなら「トンデモなので面白い」で落ち着くそれが多い事もその影響だろう。
自分たちの信仰対象すら戯画にできてかつ尊厳を失わないというこの体幹の強さは驚きである。

国際化や情報化のおかげで「人権とは人が生まれながらにもっているもの」という迷信は「法治の内にだけ存在し、日本にはそれが潤沢にある」という事実も広まっている。
多様に変化して、もはやその基盤も売りに出して崩壊の先しか見えない現状ではあるけど、この船にあとから乗ってくる人には私たちが満喫できた時代を味わってもらえないにしても、私個人はありがたかったし面白かった。
まだ「日本は宗教がはやらないのはなぜ」みたいな質問が出て、答えがないまま終わることができるフェーズではあると思う。
いまはこれに明確な考察を挟んだり答えを望んだりしないことで、日本を楽しみたいし楽しんでいってもらいたいし、この先を担う若者には、若者たちには申し訳ない気持ちしかない。