宇玖頼奈A.k.a涅惡陶狂邪愛魅異

尻の穴で、伝わる愛

最近のおもしろみ発見

もともとはウザいゴミアカウントに反応を返しても共鳴して共振作用を起こすだけなので静かに似せた周波数を陰で流しておけばどこかで触れた時消滅するだろうという古代の手法のために活動を始めたものだけれども、しばらく前に本体がBANされるという形で収束した。
更新ネタに使っていたところ自動で記事が出力されてくるわけなので更新が楽で収益化まで持っていけるかと期待をしたりもしたけれど無事そうはならずに済んだ。
特に使う用途もないので適度にエロサイトやエロ画像の閲覧に使わせていただいていたのだが、最近面白いチャットにめぐり合う事ができこれを追い活用していきたい。
元は「議論の部屋」というラインオープンチャットの話だったのだが、結局なにもかも消沈してしまい低活動のままである。

そこでオープンチャットにあるほかの部屋を見てまわっていた。どこも似たり寄ったりというか、考えが浅いとか茶かすだけ煽るだけ、やたら質問するだけという部屋も多かった。
雑談するだけの機能なのでそんなに大したものはないというか、大したものはしっかりした活動で大規模大人数で行われていて素性も確か、それ以外はなりきりチャットや夢小説とか妄想、同人系だったりとその範囲は広い。
オープンチャットも数あれど、その中でも一際輝かしい存在を誇っている部屋の一つにめぐり合えた。

それが「アドラー心理学」というオープンチャットルームだ。
https://line.me/ti/g2/Dqr6pCB5l-8VIJNQtXk2q7af4tFeKKeKQlUlpA

この部屋はまず強い異彩を放つのが「基本BANなし」という方針を管理者が掲げているところだ。
それなら荒らしや煽りや協調性のない人間の好き放題ではないか、広告は落とすにしてもほかの人間は不適切であろうとBANしないとはなんとも豪胆なことではないか。

相当にメンバーが倫理に長けた聖人かディベートで負けない饒舌さがあるのか、また適格なルールに沿って行動が矯正されるのか、など想像してしまう事だろう。
しかしどれでもない。メンバーも適当であれば管理もゆるい。メンバーに結束があるわけでもなく学術的なエビデンスに裏打ちされたものもない。
しかし荒れていないといえば、荒れておらず平静で清浄に近い。
その理由の一つに「メンバーに完全な狂人が一人いる」ということがあげられる。
完全な狂人が一人いるだけで、正常を保てるというまさに狂気の世界。

 

心理学やアドラーといった単語を掲げているからには、と思われがちだろうけれどもオープンチャットという場所自体そんなタイトルはどうでもいい話だ。
適当に旗を掲げれば通過する人間がそこの雰囲気で足をとめるか、とめないかというだけの差である。
客寄せのパンダから、そこにいる人間との雑談と雰囲気がどれだけ自分の調子にあっているかという事だけである。

あの有名な「嫌われる勇気」のアドラー哲学からの心理学発展の情報群に近い話題で雑談をしたり、悩みほどの悩みでもないことを吐露して時間を過ごすだけの場所である。
これはほか一切のチャットルームと何ら変わりはない。
しかし事あるごとにアドラーの、心理学の、という話から悩み相談、メタ的な解決っぽい案を妄想しあうという雰囲気は、その「狂人」にとっても良く人を非常に堕落されるものなのかもしれない。

ただ適当に自分の都合のよい話をしようとすればアドラーが、心理学が、とメタく叩いて釘を打ち、悩み相談が舞い込めば入室から2回目の発言であろうとわんさと心理学的にアドラー的にとアドバイスをする。
本にある単語を繰り返したり聞いた話を繰り返して新解釈で発見があった気づきがあったとして礼をいう。そんな流れだ。


さて本題の「狂人」の話。
これは非常に興味深い話である。私個人にとって非常に興味があるというだけの事ではあるがここに逐次まとめていきたい。
狂人のハンドルネームは「クー」である。
これはどこにでもある名前で私もその名前で入室できるわけで、またこの当人が名前を以前に定めず常に変えていたところからも、指摘や利用に何ら権利に関するものに抵触しないと考える。

まずなにが狂っているか、なにが悪魔的かというと、その不遜さ、不条理さ、理不尽さ、そして不道徳さである。
これは不道徳で悪を考え、それを極めよう、善に歯向かおう道徳を蹂躙しようと思ってできることではない。
やろうと思ってできることではないのだ。純粋にそれがよい事だと考えているそれが不浄で忌まわしいものであるという事に気がついていない純粋さこそが悪魔的なのだ。

この「クー」という名前もいつまで継続するかわからない適当な名前らしく、ずっと名前を変えては入室しよくわらない事を発言してはを繰り返していたらしい。
ログビュワーのあるオープンチャット紹介サイトでいくつかの過去ログを参照すると名前変更の変遷が確認できる。実に異常である。

本人曰く、キリスト教が好きで美しくてたまらんらしいがその侵略と殺戮の歴史の何がよいのか聞く以前に、まず悪魔的である自身の行動をなんとも思っていないというのがすごい。
教義として神は唯一でありその名前は人に読めない領域であると高く位置づけしてある意味、悪魔は沢山の名前をもち何にでも変化できるという特徴をもつその意味をそのまま自身で体現している。
名前が多くだれか特定できずなりきりなりすまし、耳に甘い適当な言葉で人に行動を指図するにも自分は何物でもないと自由を誇張する、まさに悪徳のそれそのものを体現している。
そこからはいっての、言動すべてが悪魔的、普段人間の創作物で悪魔や悪意と言うと損害を直接与える事を表現されるが、これはもっと宗教的で教義的なレベルで悪意そのものなのだ。
自分では「人間がよいとしていること」「人間が許容していること」をもって人間自体が悪意を成すよう「善意のアドバイス」をしてくるところだ。


本当の狂を、ログを参照しながら追っていきたい。